「たからものをすてるなよ!!」
よくよく叫んでいるセリフです。
今日も叫びました。
「たからもの」とは、「経験」や「特技」「個性」・・・その人が持っているもの。
物理的なものではなく、精神的なもののことをさしています。
「たからもの」=「生きる力」ともよく言っています。
そしてそれは「活かすもの」であり正々堂々と「ふりかざすもの」だと思っております。
ことわが子に関してはそれがよくわかるので、「そこでいかさんのかい」とがっくりすることが多々あるのです。
「活かす」タイミングもそうだけど「たからもの」を持っている自覚が本人にないこともあると思うんだけど。
はた目には、特にわが子の「たからもの」はまぶしく光り輝いてみえているもんだから、やきもきする場面が多々ある。
それは仕方ないにしても、やるせないのは自覚があるのに使わない、活かさないとき。
あきらめちゃうとき。
今日もその場面があって、叫んだ次第です。(ルルにね)
「できる」ことを「やらない」と言ったり選択することは生きていると多々あると思うんだけど(いわゆる後回し)、しっぺ返しが本人だけにくる(あんときやっときゃよかったとゆう)ならぜんぜんいい。
わが子なら、私(親)だけにそれがくるならいっこうにかまわんのです。
でもね、本人にきたり本人をとりまくやさしい存在にくることは極力避けたいと思うもの。
今日は、くもんの学習(以前に何度も何度もやって習熟している箇所)で「できない」と言ったルルに叫びました。
だってそれは、これまでがんばってきた自分自身も、応援してくれている人たちの想いも否定することになるから。
安易な「なまけ」はゆるせなかったのです。
今日はそれだけじゃなく、いろいろあってのことだったからきつかった。
「本当にできんの?」ときくと「本当はできる」と返ってきた。
今はまだそこまで言うことではないとも思うけど(こともことだし)、抑えきれない感情がやってきたら感情のままに伝えてもいいと思う。
親といえど人だし、子にはありのままの人間臭さをみせることが大事なんじゃないかと最近思うようになった。
あとね、子の「たからもの」はありありとみえても、自分のことはみえてなかったなと。
スルーしていたけど、けっこう周りの人は言ってくれているのだと分かり始めてきた今日このごろ。
私もしっかり「たからもの」をもっている。
大切にして、活かして、振りかざさにゃにゃ~と思います。
自分への想いも込めて、これからも叫びたいと思いま~す。
「たからものをすてるな!!」
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