子どもの居場所がなくなる現場にやたらと出逢う時代。その時おとなはどーする。
ルルの通っていた幼稚園。
保育園。
そして、今ルルが在籍する(通うと言うことに抵抗がある母)小学校と二人三脚で成り立ってきた中学校が他校と合併の方向にすすんでいる。
こんなに、そんなタイミングに居合わせるか?と驚いたけれど、これがそんなに驚くことではないのかもしれないと最近は思っている。
「ともだちは10人でいい」というルルが少しでもなじめる場所を選んできた結果、全体的にこどもの人口が少ない地域にいきついて、そういった場面に居合わせる機会が多くなっただけで、少子化という大きな渦中にある日本ではそんなにめずらしくもないことだろうと思う。
最初の幼稚園の閉園では抗った。
今ではめずらしい2年制の公立幼稚園で歴史があった。
ただただこの幼稚園が好きだ、園方針にしても貴重で守るべき施設だ、と気持ちを全面に押し出して抗議した。
市の管理下であったので、他地域の公立幼稚園と協力して署名を募り、何度も役所に届け市長とも膝を突き合わせて話をした。
どんなに署名を集めても市の方針を覆すのはほぼ無理だとわかっていた。
ならばと猶予期間内に基準数の園児が確保できれば閉園は免れると、園児集めにも奔走した。
戦略などない、ただひたすらに気持ちだけで推し進めた運動だった。
勝負がわかりきった戦いに気持ちだけで抗い続けることはひどく疲れるものだった。
そして今、地域の中学校が統合というかたちでなくなろうとしている。
私はどうしているかというと、何もしていない。
1年前から教育委員会との話し合いの場がもたれたりアンケートが実施されているが、話し合いには出席したことがなく(時間的にできないんだけど)アンケートには「決定に従う」という旨を出し続けている。
それは無関心という意味ではもちろんなく、一住民として一母として最善だという判断のもと。
幼稚園の時は、保護者や地域住民との団結があった。
だから気持ちで戦えた。
そしてその中心は「こどものため」という明確な軸があった。
子どもが将来もこの地域に住み続け、自身の子どもを育むにあたって、「この園で」育ってほしいという地域と園に対する「愛」があった。
そしてなによりその想いをしっかりと受け止め、反映している子どもたちがいた。
今直面している中学校存続の件との違いはそこだろうと思う。
地域としてみると、コミュニティはたくさんあるし活動も盛んで勢いがある。
でもその中心は限られた一部の人たちだけのようにみえる。
そこには長年培われてきた確固たる絆があり、なによりなのだけど、それだけで完結している感じがする。
いくら私のような新参で(一応ゆかりはあるんだけど)地域にかかわりたい者がいても、入り込めない圧倒的な壁がある。
表面では歓迎していても、こちらが一歩歩み寄れば一歩引くような。
まちから離れれば離れるほどこのような状況は珍しくないのはわかっている。
だけど、地域活性化を謳いながらやっていることが伴っていなければ、たとえ中学校が存続したとしても一体それがなにになるのだろうと思う。
一部の住民の関係のこどもが縛り付けられるだけなんじゃないのか。
そこに税金が投下されるのだ。
そういった環境でどんな子どもが育つのだろう、地域にどんな未来があるのだろうと思う。
一番危惧されるのは、そういった大人の背中をみて育つ子どもたちのことだ。
私感だけど、傾向は如実に表れている。
こどもは本当によくみている。よくも悪くも素直に受け止める。
喧噪(町)から離れれば離れるほど、心が純粋である期間が長いのはたしかだと思う。
私たちおとながしなければならないのは、そのこどもの純粋さを少しでも守ることなんじゃないかと思う。
地域活性をするのなら、「こども」を主軸にしないと成り立たない。
いつまでもおとなが主役じゃいけない。
こどもがこれからの地域を自分で考えていけるようにならなければ地域の未来などない。
私は本当にこの地域が好きだし、守りたいと思う。
時代の流れには抗えないのなら流れに乗る術をこどもに伝える。
そこからこどもは自分で切り開いていく。
結局アツくなってしまうけど、このスタンスだけは忘れないでいようと思う。
「決定に従う」は「学校が存続しようが閉校しようがどうするかは自分ちで責任もって決めます」ということ。
それが私なりの地域に対する「愛」でございます。
そしてその「愛」を貫く一途なオンナでありたいと思っとります。心から。
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