時は巡って。歳は重ねても心はより少年であることの尊さよ。
今日もおかしな天気でしたーーー(2月4日)
朝、うっすら雪が。
まもなく雪が降り始め、だんだん激しく、雨みぞれあられ~~~~
11時前、みるみる雲が散り気温がぐんぐんあがる。
先日、ダブルレインボーをみたときとほぼ同じ状況だったので期待したけど見られず。
あの虹はミラクルだったな~とあらためて思う。
ギフト、ギフト~~♪
話かわり。
むかーしむかし、あの「えんとつ町のプペル」のモデルである工場で働いていたときがありました。
ハタチそこそこの私は、幼いころから見ていたあの煙突にとにかく昇ってみたかったのだと思います。
用もなく昇っては、目の前を走る新幹線を眺めていました。
その時の私は、もっと遠くへ行きたかったのです。
煙突に昇っては、同じ目線になった新幹線に想いを馳せるという不毛なことをしていたのです。(笑)
実際、数年後にぴゅーーっとのっかって行っちゃうのだけど、さておき。
今になってここの工場でのご縁が原点であり、動き出していることに気づいた。
当時の事務員さん、先輩たちとは今でも多いときは月1~2で会うくらい。
それはとてもありがたくて一生モノであると思う。
それと同時に苦しい経験や想い出もたくさんあって。
まさに陰と陽が凝縮された時間だった。
だからこそ原点であると思うのでしょう。
そこでのご縁がまた動き始めたというのは、嬉しくもあるけれどこわかったりもします。
でもそんなこと言っていても仕方ないので、抗えないし有難く頂戴します。
それも先日友人と話していて出たこと。
「素直になること」だと。
その友人の最近やたらと出逢うテーマがそれということで盛り上がった。
テーマは逃げてもどこまでもついてくる。
それにしても四十を前にしてぶち当たるテーマが「素直」って、何周目かなのかお初なのか。
いずれにしても「原点」につながるなと、私にも言えることだなとおすそ分けさせてもらい、心に置いたのでした。
物事には意味があり、現象として自分の前にあらわれるということはすべてがギフトであると思うようにしています。
まずは「ありがとう」と受け入れる。
「試されているのではないか」という疑いの眼をもたない、「こーしたほうがいいのでは」という勘定をしない。
これはいい意味で自分を信用せず、そして何よりも自分を信頼しているのではないかと思う。
前者は「脳=思考」で、後者は「精神=感覚」といえるのかな。
感覚の領域にいると、こどもたちのことはよくわかる。
反面、会議や研修、講義の内容はきいて学んではいても感想を、意見を、なんて言われましても何も出てこない(笑)
後ほどレポートにならなんとかなるけど、その場でのスピード感にはまったくついていけない。
緊急を要することなら、バチンっとスイッチ入れることはできるけど、感覚でそうではないとわかるとどこまでもスイッチ入らない。
疲れるやん…
だからおとなはいつも疲れているんだな。
また話もどるけど、縁あって再会した方が御年は70超ではあるのだけど、少年のような人で。
話を聴くたび心底笑い転げるほどにおもしろい。
それが通常運転だというのだから奥さんに逃げられたというのも納得。(ごめんなさい笑)
ここからまたどんな物語が始まるのか。
「考えるな。迷ったらワクワクの方へ。」な今年なので、誘われるままに明日は山焼きを見せてもらいに行ってきます。
今日は春うららな日和でした。(2月6日)
ここよりさらに山に行くので、明日もあったかくなりますように。
こちらは誤った大人び方。↓
スポンサー
最近のコメント