「えんとつ町のプペル」映画公開!
なんて時間だーー。
瞬きする間に1日が終わってしまう。
さて、今日は世はクリスマス。
そしてドキドキしながら待った「えんとつ町のプペル」の映画公開日。
秋には、生徒たちと朗読会を開催。
映画公開の前に生徒たちに知ってもらいたいと思った。
本に込められたメッセージが、私が生徒に伝えたいと思っていることとシンクロしているのだ。
そして先日、教室からのクリスマスプレゼントとして「えんとつ町〜」のムビチケを全員に贈った。
こんな田舎の片隅でもコロナの脅威におののくようになった昨今、映画館に足を運ぶのは勇気がいることは承知の上で、情報を噛み砕き肚に落とし行く行かないの判断をしてほしい。
こどもは120%行きたいので、親にその作業をしてほしいと思う。
ばっさりダメではなく、こどもの気持ちをギリギリまで汲み取る努力をしてほしい。
こどもはその背中を見ている。
自分の願いのために努力してくれるおとなの背中をしっかり見ているから。
私たちは前々からの計画どおり、公開日の今日行ってきた。
いろんな巡り合わせで、サロンメンバーさんとではなくサロンメンバーになれない事情を抱えた、心が近い人たちと同席することができた。
原作者の西野さんの経済学のリターンがあるクラファンに参加してムビチケを手に入れているのだから、実際にサロンへの参加はできなくても共通点を持つ同志として、一緒に鑑賞できて本当に嬉しい。
こうして同志と同席できる、したいと思える映画はなかなかないと思う。(ふつうひとりでしょ?映画って)
同席する理由はひとつで、観賞後の時差のないままの感想や意見を共有することだと思う。
映画がどのような過程を経てできたか、西野さんが瞬間瞬間でどのような想いで製作と向き合ってきたか、そのようなバックグラウンドを知っているともう冒頭から胸が熱くなってくる。
そんな私情を抜きにしても、全人類観るべき映画だと言いたい。
だって、子どもたちが心をどうしようもなく震わされているんだもの。
同席した2歳から15歳までの5人の子どもたち、上映中微動だにしなかった。
劇場を出たあとも放心状態。
ひと呼吸おいてからの食事中には興奮を言葉にすることがままならなくもどかしくてたまらない状態。
15歳の子が言ったのは、「アントニオのこと、私よくわかる。アントニオがこの映画のいちばん観るとこだったと思う。」
そう何度も言っていた。
その意味は、観たおとなならわかることだと思うけど、多感な年頃の少女が言葉にせずにいられなかったことはとても大きな意味がある。
「もう一回観たいなあ」そうつぶやいていた。
そうだね、もう一回観たい。
願わくば一緒に。
あなたの心の変化を見たいなあと思う。
ルルは席につくやいなや一心不乱にプペルを描き続け、「こんなにうまくなった!」と意気揚々。
帰りの車中では終始主題歌の大合唱
2歳児モモまでも歌詞は完璧におぼえ、ダンスまで。
どうかどうか、せめて教室の生徒には届いてほしいなあと思う。
しかるべきタイミングで、作品に出逢えたことに感謝。
また、しかるべき人たちと共有できる奇跡に感謝。
純粋な感動とともに、これからの時代を生きるためのメッセージがつめこまれている。
純粋なメッセージを純粋に受け取りたい。
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