駅伝走りきった!「大人げない」ってなんだよ怒
やったーーーー
走りきったーーーー
無事完走、タスキをつないで皆無事に終えることができました。
万歳!
…じゃないよねーーー
どうか運動会の二の舞にはならないようにと願うばかりだったのに。
小さな地域だからこそ学校の行事や子どもたちのための催しを地域ぐるみで行う。
それはとってもいいこと。
でも見失ってはいけないのは、子どものためであるということ。
運動会では、地域住民が参加した綱引きで場所替えのとき「わしゃえらい(つかれる)から動かん」という重鎮たちが続出。
賑やかしの地域住民の競技なら構わない。
でもそれは運動会の競技として加点される競技だった。
そのことを知ってか知らずか知らないが、どっちにしてもえらいなら出んでもいいではないか。
子どもたちが真剣勝負していることに水をさすひどい行為でしかない。
今日の駅伝はPTAチームと子どもチーム(と教員チーム)に分かれての対抗戦だった。
PTAチームも事前練習したりと熱の入りようを感じていた。
世代を超えた真剣勝負だと思っていた。
子どもはもちろん本気で走るんだからおとなも本気を出すのがスジってもの。
そう納得していた。
が。
倒れ込む想いで渡したタスキなのに、その後の走者は後ろと辻褄を合わせるように調整しながら走っているのだ。
え?そうゆうことやったん?
きいてないけど。
てゆうか、それって何の意味があるの?
そんな大人のすがたを子どもに見せることって、子どものこれからを想ったらまったく逆効果じゃない?
「おとなが子ども相手に本気になるのはオトナゲナイっていうんだって」と話しているのをきいた。
たしかに、おとなの都合で子どもに当たったり、言ったりすることは「大人げない」というと思う。
でも、子ども相手にと言うことは子どもをバカにしているし、自分自身を擁護しているだけだと思う。
おとなとしての本気を見せることが子どもに対する誠意じゃないの?
おとなの本気のすがたを見せることがおとなのすべきことであり、数少ないしてやれることのひとつなんじゃないの?
おとなとしてはずかしいと思った。
でも私は今回は自分が誇らしかった。
自分ひとりでも誠意を見せられたから。
ひとりでも行動していく。
今カラダがちぎれそうなくらい痛いけど、気を抜いたら一瞬で意識飛びそうなくらい疲れているけど、気持ちは晴々だ。
この気持ちを味わえてしあわせ。
これからも幸せを選んで生きていく。
これが私の示す道。
子どもたちが困難にも負けず幸せに生きられるように。
それにしても、ルルはやっぱり体力落ちてるわ。
寒さにも弱くなってるな。
寒中体力づくりじゃ。
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