もやもや精算期?見て見ぬふりしていたことが背中を叩いてくる。
見て見ぬふりどころか、もう自分の中から消え去っていたと思っていたことがここ最近になってまた意識にあらわれはじめた。
思えば10月に、長年の両親との確執に大きな変化をもたらす出来事があった。
これまではいつもの言い合いで終わっていたところが、なぜかあの時は「このままではいけない」と思った。
それだけじゃなく「救わなければ」とも「救われたい」とも思った。
それは、そう思っていたのは両親も同じだったからだと後から気付いた。
ずっと蓋をしてきたことに突然気付いたのだ。
それはこちら側からしか見ていなかったものを向こう側から見たような感覚。
同極同士で反発して、どうしようもないことですり減らしてきただけだった。
「もういいじゃん」という気持ちになった。
今はルルモモにも胸を張って、両親と自分の姿を見せられている。
そして、ここ数日意識に現れてきたのはもうひとつの「両親」のこと。
元夫の両親とは、何の折り合いもつけずに私が逃げた。
今までは向こうの落ち度ばかりを振りかざして自分の正当性を保っていた。
自分の足で立ち子どもを守ることの原動力は彼らだったと思う。
私は地元で血の繋がった家族に守られ、がむしゃらにここまで走ることができた。
でも、彼らはその間どうだっただろう。
きっと心休まる時はなかったはずだ。
少なくとも私よりはずっとそんな時間はなかったはず。
ここまで来て、彼らの気持ちに自分の心が追いついてきたのだろうか。
その想いが溢れてきて、とうとう手紙を書いた。
ただ、今ここに書いた想いだけを書いた短い手紙を、すいません、自分のために書かせてもらいました。
最後に「あんたに子どもは育てられない」と言われたけど、たしかに、あの頃の私を見たらその通りだったと思う。
でも今は、私だからルルはここまで生きて来られたと思うし、モモもここだから元気に生まれてきたんだと思える。
どうか安心してほしい。
そんな私も、おもしろいもので今はわが子以外の子とも親のように接する立場にいる。
そしてどの子も例外なく愛おしい。
忘れたと思っていたはずの想いが、知らず知らずに支えてくれていることは多分にあることを知った。
とてもとても、有難いことだ。
今ここにきて初めて、自分に、自分が出会ったすべてのひとや出来事に感謝できつつある。
もうすぐ2020年も終わる。
よろこんで、もやもや精算受け付けマス。
明日は、父と「鬼滅の刃」観てきマス。
煉獄さんに影響されまくる父の姿が手にとるようにわかりマス。
そんな私もですが。
血は争えませんネ。
スポンサー
最近のコメント