公文式はみんなのミカタ。迷ったら「原点」にもどれ。
日本一うるさい教室と堂々と公言したり
「宇宙人養成所」を発足したり
もう十分好き勝手やってはいるんですが
公文式としてはずしてはいけないことは守っているつもりです。
規約や常識の部分はもちろんとして、「公文式」をかかげてる以上は「公文式」たらなければなりません。
「公文式」の理念に共感して「公文式」を愛してるからこそ、我が子に、そしてひとりでも多くのひとにという想いから教室を開設したのだけど、その想いがゆきすぎたり、また次第に想いが薄れてしまったりすると知らず知らずのうちに「我流」になっていることもあるものです。
とくに今は先輩の先生や事務局とも直接会って話す機会もないとなると、なおさら。
私のような新米ですら気が付くとそうなってしまっていることもあるのだから。
指導者の学びの場は多く設けてあるので積極的に参加するようにはしているのだけど、それと同時に私が大切にしているのは『原点』。
創設者の公文公会長が残してこられた言葉や理念がつまったバイブルのような本があるんだけど、こちらをひらくようにしている。
とくに好きなくだりは、会長の学生時代の経験(まさに公文式の原点!)と、発足してからの地道な広報活動と実績の移り変わり。
あと、当初から変わらない「理念」に加えて、変わってきた「理念」。
信念はあれど、試行錯誤しながらまちがっていたことは受け入れ、時代の流れを汲み変化してきたところが今も公文式が受け入れられている理由のひとつだと思う。
組織が公文式を愛し、公文式を守らんと、今でも教材の研究改定は続けられ、このコロナ禍でも公文式は挑戦を続けている。
公文会長が切り拓いてきた時代からは、今はずいぶん変わった。
また今変わりつつある真っ只中にある。
それでも「原点」をみると、安心できる。
落ちこぼれがない学びだからこそ誰でもいつからでも学べる、そして確実に自信につなげる。
学びは個人のためであり、誰かと競争するためのものではない。
それぞれの伸びがあり自信がある。
学習で自信をなくすなんてあまりにばかげている。
より高みを目指すだけが学びではないよね。
誰でもできることはあるんだよ、とすべてを受け入れるところから始まる。
「居場所」がある。
公文式の原点は人が幸せになるための原点でもあるように思う。
さあ、不変を確認したら今度はどうするか。
「公文会長ならどうされるだろう?」
そう問いかける。
公文会長が今の時代をみたら、どう思いどうするかな。
原野を開拓された会長を想う。
私の教室の「原点」はいつもここからはじまる。
守り続けるもののなかに、いつでも新しい血を通わせられるようにしていたい。
意識をもっていたいと思っています。
ちなみにこれをかきながら聴いているのは「般若心経ミュージック」なるもの。
まさに守り続けるものに新しい血が通っている!
カリンバにならぶ癒し。
自分の「原点」も大切にしたい今日この頃。
ご先祖様に感謝。
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