寒波明け、コロナ明けと同じ心境。内観する時間をくれるギフト。
てんやわんやしましたわー
あれから雪に閉ざされること丸3日。
教室の対応と水道管の破裂には神経使ったけど、でもそれ以外は極めて幸福度の高い生活でした。
ルルモモは起きた瞬間から遊び始め、好きなときに好きなものを食べ、思い立っては雪遊びしに出る。
私はコタツを抱え込み、トラベルヘルパーの課題をしたり寒中見舞いを書いたり、読みかけになっていた本を読んだり、昼間から「雪見酒じゃー」とビールのんだりしてました。
山側の水道管は凍り、風呂、洗濯機、トイレは機能せずとも「しにゃーせん!」(死にはしない)とワッハッハと過ごしておりました。
車がカマクラ化していく様を見ながら、家が宇宙にある一個の天体のように思えてきて、すべての荷が降りたような安堵感を覚えました。
ああなんて楽な世界、と思えるのもその瞬間が永遠ではないとわかっているからでしょう。
だって、世界がうちら3人ぽっちだったらイヤだもんね。ゼッタイ。
同じような感覚を持ったのは、春先の自粛期間。
あのときはやっぱり戸惑いや不安が多少あったけど、今回は免疫がついたのか私のどっかのネジが外れたのか、またこんな経験できるなんてラッキー!と全身でギフトを受け取った。
イヤ、ここは「成長」と言いたい。
現状をありのままに受け取り、流れにまかせて生きる。
前にも書いたように思いますが、こんな未来を想定して在宅の仕事を始めたわけじゃないけど、とにかくもう無理はしたくなかった。
外に出るのも運転もお金のために働くのもイヤだった。
手の届く範囲で生活を完結させる、このテーマはずっとあったと思う。
数年前にモニターで受けさせてもらったカラーテラピーのときに、「小さく生きたい。小さい空間でルルモモと一緒に身を寄せ合うように生活したい。」と話したことを思い出す。
雪に閉ざされた空間はあのときに話した光景そのものだと気づいた。
求めて動いていれば、想いがまちがえていなければ、たどりつくものなのだな。
そういうことを素直に信じてみるのもいいと思う。
抗えないものは何かを知らせるために起こるのだと思っている。
人を外に出さない現象は、おそらく内に意識を向けろ、大切なものは目の前にあると教えてくれているのだと思う。
それが真っ白な雪なんて、けっこうなはからいではないの。
私はありがたくいただいた。
そしてその雪はいつかはとける。
内観の後の外界には、多少ちがった心もちで向かいたいものです。
はてさて、ようやく今日から教室も通常通りであります。
うるささも心地よく感じる喜びの中、「いくらさわいでもいいから隣でさわぎきってから戻ってこい♡」と言うワタシ。
オトナだわーーーー
イヤ、ほんとに行くんか。
ほんで戻ってからも結局うるさいんかい。
とまあ笑うしかないのでしたアッハッハーー
まだまだ雪のギフトは来るかしら。
節分までは期待して待つ。
今年の節分は2月2日ですよ〜
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