自分の「こどもの頃」についてかんがえる。①
といのも、寝る前のルルとの会話が最近もっぱら「おかあさんがこどものころってね」から始まるから。
今回は、今日のはなしから直送してみます。
ル「おかあさんがこどものころって、何の教科がすきだった?」
母「・・・小学生のときのこと?」
ル「うん。」(当然)
母「・・・ない。好きな教科なかったわーー」
ル「図工も?理科も??」(←ルルが好きな教科)
母「好きじゃなかったわーー」
・・・ほんと、授業が楽しかったおぼえないわー。
やらなかったわけでも、できなかったわけでもない、宿題もやっていたけど、「この教科がすきだ!たのしい!」と思ったことなかったな。
絵を描くのは好きだったけど、「授業の図工」はぜーーんぜん楽しくなかった。
でも学校がイヤだと思ったこともない。
あれ?
こんなこと、ルルにこうしてきかれるまで考えたことなかったかも。
と思い、あらためて考えてみたくなった。
まず小1当時の自分のキャラクターを分析してみると
・妙に冷めている
・妙に冴えている
・妙に大人びている(周りの子が幼くみえていた)
・いつもどこか不機嫌、不安
・気が付いたら想像の世界の中にいる
・ワンテンポおくれる
思いつくところでこんな感じ。
・・・いけすかない、闇をかかえているような・・・簡単に言うと、周りとはうちとけるのはむずかしい、先生からするとめんどくさい生徒だったようです。
わかる方はわかると思うけど、ルルとシンクロしてるじゃん。
ルルは無邪気さもあって愛くるしいけれど、上みっつ以外は親子なんだね、似てた(笑)
でもわかんないところは、私も明るい子に思われていたんじゃないかということ。
今、こうして考えてみて思うのは「表」と「裏」があって、本能的(であってほしい笑)に「表」が出すべきキャラクターであるとわかっていたということ。
ルルもなのか⁉と思えばそうかもしれないけど、常日頃からべったり一緒にいる母の印象としてはその可能性はあんまりないかなと思う。
でも彼女ももちろんいろんなことを背負っているから、わからないですけど。
小1の私のはなしに戻りますが、学習や生活など学校に対する不満はなかったけどとにかく学校に関することにはすべてフラットで、どこか膜がかかったような別世界のようにみえていた気がする。
「自分の求める居場所じゃないけど、家に一人でいるよりはマシ」だから行っていたような。
明るくしてれば誰かと話せるから、どこかでもやもやとうずまいていた不安や怒りをごまかせるから。
その「不安や怒り」は今ならすぐ「さみしさ」だとわかるんだけど。
なーーんだか、こうして小1の自分を分析してみると色んなことがわかるもんだーー。
びっくり。
これまで明確な転機が何度かあるんだけど、最初が小4。
それまでの記憶の方に集中して今回考えてみた。
それはルルにきかれたことがきっかけだから自然にルルの年齢に合わせたからだと思うけど、転機を迎えるまでの私が本当のありのままの私だったからだとも思う。
霧の中にいるような水の中にいるようなどうにもこうにももどかしくて一生懸命あがいて、自分の気持ちや感情を言語化するすべなんて持たない、非力な愛すべき存在。
ただ抱きしめて「だいじょうぶ」と言ってもらいたかった時期。
私は自分の子にこんな想いをさせないためにこれまで四苦八苦してきたんだと気づく。
リアルに今書きながら気づいてる。
自分の分析はすごいかも。
「授業はさせられるものだから、図工もすきなものを描かせてもらえるわけじゃないからイヤだった」とか言って、こんな者が公文式のファンなんだからわらっちゃうーーーってところに着地しようと思ってたんだけど、不思議や不思議。
思わぬ気づきに本当に驚いてる。
きっとまた次回。
①にしたんだから②がないとね、おかしいじゃんね。
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