学びの土台のひとつは「国語力」!
先日ルルの英語学習について、今は「国語力」が追い付いていなくて中学生教材に苦戦している。と書いた。
今日はその「国語力」について考えたことを書いてみますー。
またルルの例を挙げますが、英語教材をやるのに「国語力」が必要なのは、設問文と説明文が理解できないといけないから。
中学生レベルの教材というと、設問文で使われる言葉や表現も中学生レベル。
また、中学生レベルの教材から文字化された文法の理解が要求される。
今まで慣れ親しんだ文章(友人)が急に他人顔になるようなものだろうと思う。小3生にとっては。
「そんなんだったん!?」っつって。
教材も急にモノクロになるし。(笑)
突き放された感はんぱない。
いままでフワッとした雰囲気でおててつないで楽しくやってきたのにねー。
そんなこんなですっかり打ちのめされたルルは若干スネているわけです。
公文式は、スタート時は実力よりも下がった楽にできる教材から始め、勢いと自信をつけながらまずは「学年相当」の教材を目指す。(助走期間)
そこからは「学年を超える」ことになるので、少々頑張りが必要になってくる。
おそらくこれが最初の壁となるのだけど、だいたい大丈夫。
そのための「助走期間」だから。
でも、実際の学年と教材のレベルの差が上に大きくあいてきてしまうとルルのような状態になる子も多いのではないかと思う。
ルルの場合は、3教科学習だけど算数は小2レベル、国語は学年相当レベル。
英語だけがとびぬけてしまっている。
本は好きでよく読みはするのだけど、教材となると様子が違うようで国語がなかなか進んでいかない。
読書きで出遅れたことも関係はしているだろうし、好きな本を読む読書と学習での読書の違いや自由を求める精神なども要因だろう。
英語は好きになったから伸びた。
でもここにきて「国語力」の壁。
国語学習者にはできるだけ2学年先のレベルの本を読ませておくとよいといわれるのだけど、その理由がリアルにわかってきた。
もっと、国語を大切にしておけばよかったな~~~~!
教材にこだわらず、読書で進めるほうが絶対ルルには合っていた・・・
3教科は互いに互いを伸ばす相乗効果があるといわれる。
でもそれは3教科のトライアングルがある程度バランスよく保たれていればのはなし。
そしてその土台はやはり「国語」だと思う。
とくに低学年のうちは設問文はもちろん、文章題も多い。
すべてが「国語力」だと言ってもいい。
いちばんこわいのは、つけてきた自信がそのようなきっかけで崩れてしまうこと。
ルルが英語を嫌いになってしまうこと。
今は全体的に枚数を少なくしたり、本人の気分にまかせた「クモンタイム」にしてできるだけ本人のモチベーションを保てるようにして、3教科のトライアングルのバランスを少しずつ整えていこうとしている。
学習の習い事というと、「苦手の克服」か「得意を伸ばす」のどちらかになりがちだけど、どちらにせよ「国語力」ありきだと思う。
「国語力」とは「読解力」。
そしてひとのはなしを聞いて理解して意見することもそうだと思う。
つまり「コミュニケーション力」。
これは最近気づいたのだけど、たとえば英語を学んで「できる」としても、話す「内容」がなければ「コミュニケーション力」はつかない。
挨拶や店での画一的なやりとりや道案内などができても、それは本来の「コミュニケーション力」ではないと思う。
自分のなかにインプットしたことをアウトプットできることが「コミュニケーション力」なのだと思う。
国語も英語も「言語」なのだから。
たしかに公文式の国語は、取り扱う読み物のジャンルが幅広く、好き嫌いもあるだろう。
でもそれを「読む」=「触れる」ことが目的で、必ず自分の中に知識としてインプットされている。
「言語」は人生を豊かにするためのもの。
そういう想いで「国語」を見直したい。
ルルには時間が必要だけど、こちらの意識をととのえて待っていたいと思う。
本当、国語って大事。(しみじみ)
スポンサー
最近のコメント