初雪に想う。思考は自由にどこまでも、足は地に。
田畑や車に積もった雪を見て絶望してしまうのは山暮らしも板についてきたということだろうか。
まだスノー(タイヤ)はいてないとぼやく横で、子どもたちはおおはしゃぎ。
車の運転がニガテなもんだから、ついつい。
朝の運転を無事すませてからひとり今車で走った道を歩いてみる。
ルルのいう通り、「スノードームの中みたい」。
広いと思っている世界も、本当はスノードームのようにはたからみたらごく小さい世界なのかもしれない。(どんだけ遠目のはたか)
時折り晴れ間も見えると上の方の雪までくっきり見える。
せわしい車を横目に歩いているとちがう世界を生きている感覚になる。
「歩いてみればいいのになあ、もったいないなあ」とよけいなお世話をやいたりして。
歩いていると、目線に合わせて世界が変わる。
車では視界は一定(でなければならない。)だけど、歩くとそこがずいぶん自由になる(でも気をつけよう。)
上を向けば、空の続く限り思考は高く高く翔べる。
下を向けば、あっという間に地面にぶつかりゴミやうんこが落ちている。
この差は凄いなあと今朝思った。
まさに「天と地の差」。
そして、私たちはこのバランスのはざまで生きているのだと思う。
たとえばルル。
物理的にはもちろん地面を歩き生きているが、あの人の思考ははるか高く遠く空の彼方にある。
人として羨ましくはあるが、母としてはバランスをとるためにちょっと地上に引き戻してやる瞬間がなければならない。
まだお空に近いモモちゃんは地上の物事も新鮮で楽しめるし、まわりも何も言うことはないけど、うまれて10年近くたつルルはそうはいかない部分が多くなってくる。(フビンだネ)
地上に顔をつける勢いでまわりは引き戻しにかかるけど、まあまあルルの性質をわかっている(つもり)の私はそこまではしないけど(たぶん)、周りにそこまでさせないようにする努力は必要だと思っている。
それが「スノードーム=地球」にうまれてきた宿命と責任だと。
「公文式」という最小限の負担でそれが担保できるんだからたやすかろうと思うんだけど、ね。
それがわかるのはもう少し先なのか、逆に私の(地上至上の)思考が覆される未来が来るのか。
どちらにしても楽しみだ。
かつて「宇宙人」を経てきたおとな(ワタシ)が現代の「宇宙人」に諭されおしえられようやくここまでの思考にある。
まだまだ「地上主義」の世界と新生「宇宙人」とのバランサーとして試行錯誤。
白髪は増えるし血管は切れそうになるが、心は燃え盛っている。
おかげで寒さも不思議とこたえていない。
「公文式和田教室」=「宇宙人養成所(保護所?)」を宣言した以上わたしも責任がありますんでね。
どんとこい。
そんな初雪2020。
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