竹内結子さんの死を受けていてもたってもいられなくてとりあえず想いを書いてみます。
「どうかなってる」
とまず思いました。
竹内さんがというより、三浦春馬さん、芦名星さんとたてつづけにこのようなことになること自体に。
事実なんてとうてい知りえないことですが、芸能人、女性、男性、世代とかではないと思う。
なにかもっと原始的なものを感じています。
「̪死」は衝撃だったし、かなしいという想いはあるのだけど、ことばが許されるなら、彼らが「死」という状態になったことですごく近くなったような感じがしている。
漠然とした、遠くの世界にいる人だと思っていた人が、ただの「人」、自分と同じ「人」なんだという認識なのかもしれない。
どうであれ、彼らが立て続けになくなったのはただごとではないとは思う。
どの方も、特に熱心な関心があったわけでもないのだけど、三浦さんの件を知ったときは無性に悔しい想いがあった。
偉そうな言い方になってしまうけど、「彼は生きなければならなかったのではないか」と強く思った。
それは「芸能人」としてではなく、ひとりの人として生きていてほしかったと強く思った。
そしてまだその想いはあって、こうしている今も悔しい。
こうなった理由はわからない、ニュースや記事が真実とは限らない。
でも、「原始的」といった何かがわからないけど、あるとするなら私たちにもそれは確実にあるのだと思う。
私でもたまに意図しない方向に思考が引っ張られるような感覚がある。
かと思えば突然無になるときもある。
それは、環境も時間もおかまいなくやってくる。
「人」であることの本能のようななにか。
今あたりまえにあり見えることが当たり前とは限らないということは意識しておいた方がいいのかもしれない。
遠いと思っていた人がこうして突然に感情をゆさぶりに来たりする。
意味がないことだとは思えない。
地に足をつけておかないとなにかに巻かれてしまうかもしれない。
そんなことを感じています。
スポンサー
最近のコメント