中学校の今後を決める何万回目かの会議に・・・
出席しませんでした。
というより、夜間は無理です。
夏の初めに個人懇談があり、各々の考えを伝えて、あとは教育委員会が決定を下して通達があるだけだと思っていたんですがね、なんとまだ今夜話し合うという!!
しかも投票もするって!!!欠席者にも用紙を配付して集計するってーーーーーーー
そこまですくいあげといて、最終的には教育委員会の方針で決めるってもーーーうわけわかめじゃ!!!
今朝、欠席の連絡をしたときに「ウチはどういう決定になろうと今後のことはウチで決めるんで投票用紙はけっこうです」と言ったのだけど結局そういうことになっているからと。
とことんまでやってやりましたという事実をかかげないと、不安なんだろうなあ。
今まで幾度となく「うちはいいです」と言いながら決定後に「え~」という人がいた例が多々あるんだろうなあ~~~(いいですという人ほど言いがち)
それにしてもこんだけ時間を割かれて、みなさまはどうも思わないのだろうか。
19時って家族にとって大事な時間じゃない?
しかもほとんどの家庭ははるばる下山して出勤しているというのに。
おつかれじゃなかろうか?
学校と市の招集にはどんなズボラな家庭も忠実なんだよな。
ここは本当にあぶないところだと思う。
学校を「保育」の機能としてまるなげで子どもを送り出して、学校が言うことがすべてでもし何かあったとき、どうするの?
その時は学校を責めるに決まっている。
「学校は行くもの。行けることは幸せだ。」なんて骨とう品みたいな言葉で子どもの気持ちをのせておいて。
どれだけの子が、爪をかみ、からだに蕁麻疹をかかえているか、他人のものをとったり、傷つけているか、ほとんどの親はしらない。
のんきな私は、学校に行き彼らと接するたびにそういったことをいたいほど感じる。
19時に招集に行き同じ話を何度も聞くくらいなら、彼らと一緒にいてやってよと思う。
こどものことを話し合うのにこどもが犠牲になって、こどものことなのに当事者である彼らはその場にいない。
本末転倒もいいとこだ。
自分のためにも整理しておきたい。
「こどものため」は現時点で「自分のため」、将来的にも「自分のため」。
現時点での「自分のため」はただこどもを理由にしている、こどものせいにしている、そしてこどもを思うようにしようとしていること、
将来的での「自分のため」はいつかはこどもの世話になるときが来るということ。
親と子としての意味もあるし(金銭や介護など)、将来彼らがおさめる税金でという間接的な第3者からのという意味もある。
どちらにしても、子どもの世代がなくしては私たちは生きていけない。
たかが一時間の空白、ではないということ。
こどもの時間を安く見てはいけないと思う。
奪わないでほしい。
そして奪われないで。
もうまじで、中学存続どうでもいい、現実問題いま地域の子どもは終わりかけてる。
毎日寝不足、偏食横行、性悪、すべてはただ側にいる時間を増やすだけで解決できること。
大切な人との時間を大切にしてほしい。
すくなくとも私はそうしたい。
いつかはなくなるし、いつなくなるかわからないのだから。
腹立ってる。
自分にも。
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