「学びの土台」のひとつは「よみきかせ」!
今日、友人のこども(5)と触れ合う機会があって
ぶったまげた。
ひらがな、カタカナの読書き、100までの数字の読書きができる。
おまけに、かんたんなひとケタどうしのたし算も指を使わずにできる。
これだけでもおったまげ。
なんだけど、「ぶったまげた」のは、「訂正力」があること。
読書き、たし算は歌をおぼえるように身につけることができる。
でも、彼は数を数えながら、文字を書きながら、
「ちがうな」「マスが多いな」「あの数字とばしてた」と的確にまちがいに気づくのだ。
すごいなーとただただ圧倒されてしまった。
これってもう文字や数字の概念が「定着」してるよね~。
友人いわく、特別な学習はさせていないとのことで、本人から興味をもち本を読んだりし始めた
ということだった。
「なるほど!」
自分から本を手に取る子はたいていあかちゃんのころから「よみきかせ」をしてもらっている。
友人もそう。
これはね、わたしも経験あるからわかりますよ。
私自身は、「よみきかせ」のおかげ(今はわかる)でまわりの子よりも
圧倒的に字を早くおぼえたし、文章力も語彙力もあったことをおぼえている。
そして、ルルがあかちゃんのときからなんとなく「よみきかせ」をしていた。
そしてそして今ではルルがモモに「よみきかせ」してたりして。
この「よみきかせ」こそが、「学びの土台」なのだ。
もちろん、そこからの学びのはやさはそれぞれだし、広がる方向もさまざま。
なんだけど、とにもかくにも「よみきかせ」でことばのシャワーをあびせることは大きなことだ。
『BABY KUMON(ベビークモン)』ではくわえて、「うたいきかせ」も並列している。
「よみきかせ」と「うたいきかせ」で「学びの土台」を育む!(ほんとうはまだ要素はあるけど、追々。)
あとこうして書いてみて気づいた。
「よみきかせ」は受け継がれるということ。
父から私へ、私からルルへ、ルルからモモへ、そしていつかはふたりのこどもへと受け継がれていくのだろうね。
ずっと続いてきた文化なんだろうね。
なにげないことが、根っこだったりするんだなあ。
「よみきかせ」については、いずれまた書こう♪
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