こどもの頃について考える。②
小1から引っ越してきたので小学校では誰も知り合いがいなかった。
唯一、同じマンションに住んでいた子が友だちだった。
お互い共働きの家庭で、その子にとっても学校では私だけが友だちだった。
行きも帰りも一緒だったんだけど、その道中がドラマだった。
校区の一番はじに住んでいたので道のりは長く、最初は1時間近くかかっていたように思う。
そんな道中、私たちはいろんなことをした。
家をでる目的がこの道中で何をするかってくらい。
まずほとんど朝の会に間に合ったことがない。
かえるを追いかけていたから、大雨のなかわざと傘をささずに歩いたから、縁石の上だけを歩いてきたから・・・いろいろ。
同じクラスになった3年生のとき、ようやく先生にひどく叱られたのは覚えてる。
ちょっと反省した。(すぐ忘れた)
思えば、この友人との道中があったから学校に行っていたのかも。
この時間と、学童(児童クラブと言っていた)。
中庭の池がお気に入りで(今でもやたらと池がすき。)ヌシがいるというウワサを信じて、絶対最初に見つけてやると思ってうろうろしていてよく落ちた。
こうして文字にするとろくでもない子どもでしかないんだけど、親はどう扱っていたんだろうか。
帰宅してからが本番で、港でガイジンの船乗りを見つけてはダッシュで逃げたり、野犬の子(当時は町なかにもいた)を捕獲してはこっそり飼ったり、工場の敷地に積み上げられていたでっかいタイヤにはまったりして日が暮れるまで遊んだ。
さすがにこの学校外の活動については目についたようで「ヤメロ」と言われた。
でも楽しいからやめないでうっかり口をすべらせて話してしまったときはボコボコにされた。
親にはよく怒られていたけど、反省はしたことはない。
口をすべらせて「あーしまったな、ヘタこいた」とは思ったりしたけど、大方は「リフジンだなー」と思っていたと思う。
「理不尽」という言葉は知らなかったけどなんで怒られるのかわからなかった。
友人の親は怒らなくて、「よく怒られるね」と言われていたからというのもある。
こうして反骨心はすくすくと育っていったのだろう。
いま私はよく怒っている。
とくにルルに。
怒るときは「嘘をついた」「危ないことをした」「人に迷惑をかけた」とかざっくりいうとこれくらいだけど、ときに感情にまかせてあたるときもあるかも。
「それは言わなくていい」とか「言い方がちがう」とかねこもりやからよく言われたりもする。
私は「鍵っ子」育ちでさみしかったからか、わが子にはその想いはさせたくないと思って在宅勤務を選んだ。
もちろんそれだけが理由じゃないけど、大きな理由のひとつだ。
だから言動がいちいちわかるから言うことも多くなる。
「リフジン」とは思ってなくても「うるさいなー」くらいは思われているかもね。
こちらも、うるさいと思われても「リフジン」だとは思われないようにしなくてはと今思いました。
自分と同じ想いをさせたくないというならねぇ(笑)
でも今日も怒ったーーー
理由はルルのソンゲンの保護のため伏せるけど、「まじか!!!」と叫んだよ。
そんなことが多々あるよ。
でもせっかくこうして文字にして振り返っていることだし、叫びたくなったら自分のろくでもない子ども時代を思い出そう。
ほんとろくでもないな。
平成の町の女子とは思えん。
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