学校に行かないルル。
ここのとこも、自分のためにも早いタイミングで文字にしておきたいと思っていた。
大きなきっかけはやはり「コロナ」。
前倒しされる形になった夏休みより長い春休み、
どの家庭も「どうするか・・・」と一瞬遠くをみた。
この山間地域では共働きで麓の町まで勤めにでるのが大半で、
学校が「保育」の機能を果たしていた家庭は途方に暮れた。
(学童保育は「延長保育」の機能となる)
まずは、本来の学校の役割である「教育」よりも
「保育」の機能が停止することに多くの家庭は戸惑った。
親戚をたより、親戚をたよりにできない家庭はどちらかの仕事を
犠牲にして家庭で子どもと過ごすことを余儀なくされた。
「保育」をなんとか確保できたのちに、
宙ぶらりんになった「教育」へと目先が変わった。
大慌てで学校から提供された学習プリントなどは、
量も内容も学校によってまちまちで、
頼りにしていた学校から満足な教育が与えられないこの状況が
いつまで続くのかと不安に不安が重なった。
・・・続く・・・!!
と、ここまではおとなの目線でのはなし。
当のこどもたちはというと、不安や恐れなどほぼなく
現状を受け入れ、一足早い春休みを満喫していた子も
少なくないように感じる。
そこでようやくウチのはなしになるのだけど、
もともと在宅勤務の私は先に挙げた点ではまったく影響はなく、
ルルがいてもさほど差し支えなかった。
(モモだったらまったくはなしはかわってくるが、幸い保育園は運営された。ほっ。)
それでもやっぱり、野放しにしておくのは違うので
休み中の日課を毎日設定して過ごした。
学校がある体での日課なので、夕方まで学習する日課を組んだ。
それは決して楽なものではなかったと思う。
むしろ私とマンツーマンで逃げ場がない分過酷だったはず。
(先日ブログでも書いたように、学校の課題には苦労した・・・。)
でもそれだけじゃなく、家にいるからこそできることもやることにした。
例えば、家事。
休みの間に、ルルは味噌汁とパンケーキの作り方と鍋でごはんの炊き方を覚え、
朝ごはんを毎日作るようになった。
掃除機と植木の水やり、食器洗いもこなした。
毎朝ヨガをし、昼には近所を散歩していろんな発見をしていろんな話をした。
じいちゃんばあちゃん宅へも毎日行き、じいちゃんに自転車の乗り方を
習い乗れるようになり、ばあちゃんと一緒にいろんなおかずを作った。
これはルルにとって一生の財産(わたしは「たからもの(=生きる力)」という。)だと思う。
学習では、思うようにいかず、
私も何度も何度も声を上げたし取っ組み合うこともあった。
でもルルは毎日を大いに楽しんでいた。
学校の課題もやり遂げることができたし、公文も復習教材を400枚やった。
(たし算はコンピュータ並みに早く確実にできるように。)
毎日疲れ切り、「ルルワールド」(ルルの脳内世界)に行く間もなかった日々
だったけど、(いや行っていたからできたのかも?)
確実に彼女は強くなったし、自信もついたんだと思う。
今までも暇さえあればやっていた絵や粘土などの創作にも変化がある。
細部まで詳細に表現するようになった。
今はイマジネーションが溢れてしかたないかんじ。
そんな日々の延長で今に至っている。
決して学校が嫌なわけではない。
ただルルの本能がそうさせるといったらそれまでだけど、
「ルルワールド」がやまない。(笑)
この休校中に経験したストレスや喜びなどのすべての要素が新しい世界
を見させることになった。
私は母としてもひとりの人としても、それはすばらしいことだと思っている。
やりたいことがあるならそれを思いきりやらせてあげたい。
多少のスパイス(ストレス)としてやることはやった上なら、すきなように
したらいい。
それに私も、何の考えもなく「教育」を学校に丸投げにしていたことを
反省している。
今も先生方はルルのために尽力くださっていて、ありがたいかぎりなのだけど
私もコロナを通して、ルルを通して、新しい世界を見ている。
今はまだ考えの途中なので、しっかりした理念で納得してもらうまでには
いたっていないけど、「ルルワールド」を一緒に守ることは大事なことだと思う。
今は理解されなくても、いろんな考えがあり選択肢があることがいつか当たり前になる。
「考えがない」のがいちばんこわいことだと思っている。
私は、私と大事なひとを守るために考え続けて、
「やってみよう!やってみなければわからない!」
の精神で、「たからもの」を増やしていく。
「だれのためにたたかっとんじゃ!!」と叫ぶ日も多々ありますがね。
今は、そんなかんじでーす。
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